俺とMac/デジタル〜画像処理〜デザイン〜教育〜アナログ その1

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そう、気がついたら随分とMac歴が長くなった気がする。きっかけは以前書いた記事を読んでね!

 Macとの出会いは1995年仕事で出会ったのだが、自分が購入したのはその会社を退社後の1997年。そう今年の夏で丸9年となる。

 当時専門学校でPhotoshop4.0とIllustrator5.5を学んでいたのだが、それは3ヶ月コースというとてつもなく短期間での講座でした。別に「Macで仕事をしよう!」とか、そのような物ではなく、取りあえず使いたかったから学んでいた感じでした。その後3DCGの方へ進んだ為、MacではなくUNIX環境でのAliasPowerAnimatorという現在のMayaの原型になったソフトを学んだのだが挫折、結局めぐりめぐってMacで仕事をすることになったのでした。

 たかだか数ヶ月MacをかじっただけなのにMacで仕事。元々は全く違う職種だったのにMacが使えたからって言うだけでなんと最終的には画像処理技術者&なんちゃってデザイナーになって、毎日スキャニングー加工ー合成ー色調整ーポジ出力ーデータ出力ー紙出力&デザイン業務ーDM作成ー広告作成と明け暮れていました。まぁ元々絵を描いたりするのは大好きだったので楽しんではいましたが、3ヶ月の勉強で何も解っていなかった私としては技術的知識がかなり当初は厳しく悪戦苦闘していたのを覚えています。

 システムについての勉強は独学で覚えていったのですが、画素(Pixel)と解像度(dpi)さえ理解し切れていなかったからです。当時の会社の人で周りにはMacやデジタル知識を熟知している人がいなく大変な思いをし、作業に追われながらも追い込まれ、自分で本を読み勉強し、実作業により理解していきました。その会社の運営状態にも問題はあると思うが・・・なんせちゃんと解っていない私を作業者にしちゃうから・・・ちょっと使えるだけだったのに。そう、画像処理などの技術的な作業は実作業でどうにでも身に付くのだ。しかしよく考えてみよう。それはデザインに関することだ。何で俺がデザインまでやっているのかしら?確かにMacでPhotoshopやIllustratorは使いこなせていた、しかしデザインとなると話は別なのである。デザイン的な勉強したことあるのか?俺。高校時代に美術を専攻していたくらいでデザイン技術は何にもない。

 そこでだ、何を思ったのかデザイン力の乏しさに嘆いた私は20代後半で手書きのデザインを学び始めたのだ。さらにMacに関しても独学という事で若干蟇目を感じていた。だからMacの学校にも通い直しPhotoshopとIllustrator、QuarkExpressを学び治すこととし、さらに自分の中の空白的な知識Windows環境でのWeb制作も学び治すこととした、Webに関しても97年に独学でサイト作りも始めては居たのだが・・・そう、独学でやっていたため通常みんなが知っている基礎的知識の欠如が自分で許せなかったのだ。独学の限界を感じていたのかもしれない。仕事では周りに自分より詳しい人がいなかったのも影響はかなりあり成長の限界を迎えていたのであろう。そこで感じた事なのだが、パソコンは道具に過ぎない。画像処理やWeb制作に限って言えばMacやWindowsが有るからこそ行える事なのだが、デザインに限って言えば全く違う。デザインするのはあくまで感性、IllustratorやPhotoshopはデザイン道具で言う雲形定規やスケッチブック、鉛筆、アクリル、アクリルガッシュとかと何の違いもないただの道具なのだ手作業で作画していた部分、着色していた部分をコンピュータ化しただけ、レイアウト、キャッチコピー、書体、全ての基本はアナログ&感性のはずなのだ、それに手書きで絵を描き、デザインし、線を引き、Macをやっているより遙かに楽しめたのを覚えている。絵の具を塗る筆の力加減。デジタルにはない魅力だった。そう、思い出した、そういえば小さい頃小学生の頃は毎日のようにチラシの裏に絵を描き遊んでいたのを覚えている。あの感覚だ、あの感覚を思い出した。大人になり全く絵を描かなくなっていたからだ。

 確かに小中高とかなり絵は描いていた、両親には美大へ行けと勧められていたのだが何故か行かなかった。だから普通のデザインや絵が好きな人とは順番が違っているのかもしれない。みんなは先に絵を勉強し必要に迫られMacやWindowsによる作業を覚えていく。私は逆だった気がする。だから仕事での実作業で限界を感じていたのかもしれない。そう、その空白部分にふがいなさを感じていたのであろう。

 そんなわけで今は心底思う。MacやWindowsはたかが道具だ。あくまで感性なのだ。デザインや音楽制作もそうだ。感性でしかない。デジタルを利用することで広がりを見せるのだが基本はアナログ。アナログ無くしてデジタル化はあり得ない。それにWindowsで文章書くっていうのもそうだ。文章を書くのも感性が重要なのだ、人を引きつけいかに自分の意見を文章に入り込ませるかが重要なのだ。

 だからといってMacでの作業をやめられるか?と問われれば既にそれは不可能だ。Macには何故か魅力があるのだ、この操作性、デザイン製だけでは語り尽くせない何かがあるのは事実。それに魅了された一人なのであるから。大人になってからの9年間Macは常に私の右腕として働いてきてくれたのも事実。慣れ親しんだこの環境を捨てる気にもならない。最近Windowsを導入したのだがそれはまた幅を広げるために過ぎない。

 で。今はMacで仕事をすることはしていない。情熱が失せたのかもしれないけどね。

 しかし、このMacの魅力は何なのだろう。。。ただの道具なのにね、おかげでいったい何人の人にMacを教え、新たに買わせ、Macユーザーを拡販したのか。。。数え切れない。今思う。Macに出会えて良かったと。

次回に続く

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